◇福島の無念、強く提訴に 「脱原発」へ粘り強い運動を−−北野進さん(52)
石川、富山両県の住民が先月、北陸電力志賀原発1、2号機の運転差し止めを求め、金沢地裁に提訴した。06年3月、金沢地裁の志賀原発2号機運転差し止め訴訟の判決では、初めて商業用原子炉の運転停止を命じ、「安全神話」に疑義を投げかけた。だがこの訴訟は2審で原告側が逆転敗訴、最高裁で確定している。再び提訴した今回の訴訟の原告団長の北野進さん(52)=石川県珠洲市議=にその意義などを聞いた。
◆原子力安全・保安院は18日、志賀原発直下の断層を追加調査するよう指示した。
追加調査の対象となったのは1号機の直下を走る「S−1」と呼ばれる断層。88年に1号機の設置許可が出た際、通産省(当時)は「活断層ではない」という判断を下しています。それが、福島第1原発事故後の今になって原子力安全・保安院が「活断層ではないか」と再調査を指示しました。二十数年間、「活断層隠し」を続けていたのです。
建設当時は原発の立地ありきで、安全審査がないがしろにされていた。今回の再調査は以前のように北陸電力と原子力安全・保安院だけで完結するならば、結果は信用できません。徹底的に調査結果を公開し、第三者の視点から、批判的に検証する必要があります。
◆80年代末、珠洲市に移住し珠洲原発建設反対運動に携わった。
大学卒業後、4年間の会社員生活の後、旧鳥越村(現・白山市)で無農薬農業を始めました。脱サラした直後の86年4月、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故が発生。いくら農家が安全な食べ物をつくっても、放射性物質が空から降ってきたら一瞬で台無しになると痛感しました。
農業を続けるなら、原発に反対する行動に取り組まずにはいられない。妻と2人で珠洲市に転居し、関西、中部、北陸の各電力の共同開発で進められていた珠洲原発の建設反対運動に加わりました。
計画浮上から28年後の03年に電力会社側が建設を断念。珠洲では阻止しました。しかし、全国に50基もの原発が存在する状況は変えられず、昨年3月に福島第1原発事故が起きました。無念です。
◆前回の志賀2号機訴訟に原告として参加した。06年3月の金沢地裁判決で、当時の井戸謙一裁判長は「想定を超える地震で原発に事故が起こり、原告らが被ばくする具体的可能性がある」と、耐震設計の不備を指摘しました。
原発は一旦、事故が起きると被害は際限なく広がります。国家が破綻する事態に陥る可能性もあります。そんなリスクを抱えたエネルギーに依存したままでいいのでしょうか。金沢地裁判決には、その問いかけが含まれていたと感じるのです。
◆訴訟はあくまで「脱原発」の社会を目指す手段の一つ。
前回の2号機訴訟は、99年の提訴から最高裁の判決確定まで10年以上かかりました。だから、「また裁判を起こすのはつらい」という声もありました。
しかし、あの06年の金沢地裁判決がそのまま確定し、全国に波及していたら、福島の事故は止められたのではないか。そんな思いが強く提訴に踏み切りました。
福島の事故後、脱原発を支持する世論は高まっていますが、一時的ではなく、日々の暮らしのあり方や価値観に根ざした運動を粘り強く続けなければなりません。今回の訴訟が、その一助になればと願っています。
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■人物略歴
◇きたの・すすむ
1959年生まれ。能登町出身。91〜03年、県議(珠洲市・珠洲郡)を3期務める。11年4月から珠洲市議。妻(47)、長女(20)と暮らす自宅で使うまき割りが趣味。毎日新聞 2012年07月22日 地方版
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